老舗種麹屋の歴史
初代 河内源一郎
初代 河内源一郎 | 1883年 | 広島県で代々続いた味噌・醤油屋「山田屋」の長男として 初代 河内源一郎が誕生。 |
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1909年 | 大蔵省へ就職、熊本税務監督局(鹿児島工業試験場技官)として鹿児島に赴任。 | |
1910年 | 河内黒麹菌の培養に成功(泡盛黒麹菌=アスペルギルス・アワモリヴァル・カワチ) | |
1921年 | 種麹菌製法に関する特許を取得。 | |
1924年 | 泡盛黒麹菌の突然変異により発見した、新種の白麹菌を鹿児島高等農林(現・鹿児島大学農学部)西田幸太郎教授の協力により、河内白麹菌を学会にて発表するも相手にされなかった。 | |
1931年 | 大蔵省を退官、鹿児島県清水町で麹菌を製造販売する河内源一郎商店を創業。 | |
1939〜40年 | 朝鮮・満州にまで販路を広げ、販売だけではなく焼酎造りの指導を行う。この活動により、韓国の焼酎・マッコリに使用されている麹は河内菌を使い生産されている。 | |
1940年 | 麦ぬかを用いた発酵法によりグルタミン酸ソーダを造る研究を始める。
鹿児島大空襲により、自宅兼工場、そして研究施設を失う。 同時期、海軍少尉 山元正明(二代目 河内源一郎)より、軍からの依頼で焼酎から航空機用アルコールを抽出・調達の打診を受ける。 |
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1941年 | 鹿児島県清水町に戻り店を再建する。 | |
1947年 | 京都大学教授北原覚雄博士は河内白麹菌を研究し、新種であることを認め、Asp.Kawatii.KITAHARA.(アスペルギルス カワチ キタハラ)と命名。
その有用性を学会に発表。発見から23年後にようやく認められたのであった。 |
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1948年 | 初代 河内源一郎が鹿児島市清水町の自宅で死去。(享年66歳) | |
1953年 | 株式会社河内源一郎商店設立。 |
二代目 河内源一郎
(山元正明)
二代目 河内源一郎
(山元正明) |
1959年 | 清酒用黄麹(ネオマイセル麹)の製造に成功し販売開始。 |
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1961年 | 二代目 河内源一郎が河内式ドラム型自動製麴装置完成(特許取得済み)販売開始。 | |
1965年 | 発明協会優秀賞受賞、河内菌新種改良種L型、G型、S型を分離発見。 | |
1969年 | 河内式本格焼酎蒸留装置完成・販売開始。 | |
鹿児島市吉野町に機械組み立て第二工場開設。 | ||
1979年 | 種麹の優良品の製造と研究開発及び焼酎製造工程合理化貢献を称えられ、MBC賞を受賞(南日本放送より) | |
1980年 | 製麴装置の開発と普及の実績により日本醸造教会石川賞を受賞(財団法人に本醸造協会より) | |
1983年 | 無蒸煮米の麹化に成功。(特許取得済み) | |
1985年 | 焼酎麹と清酒麹との細胞融合により有用新菌種の創成に成功。
姶良群溝辺町に第3工場を完成。 |
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1987年 | 細胞融合による新菌種の創成実用化の功績により、第一回かごしま産業技術大賞を受賞。 | |
1989年 | 焼酎用優良種麹及び自動製麴装置の開発の功績により、科学技術庁長官賞を受賞。 | |
1991年 | 焼酎用優良種麹及び自動製麴装置の発明考案精励を称えられ、黄綬褒章を受賞。 |
三代目 河内源一郎
(山元正博)
三代目 河内源一郎
(山元正博) |
1993年 | 鹿児島県のみならず全国の焼酎業界の発展に大きく貢献した功績を称えられ、鹿児島県知事より鹿児島県民表彰をうける。 |
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